林博司・定延利之編『コミュニケーション、どうする? どうなる?』ひつじ書房

http://www.hituzi.co.jp/books/319.html

割と有名だけど初めて読んだ。

雑感

前半はなんかよくわからなかった。コオロギの話は面白かった。

山縣康浩氏

富士ゼロックスの人事の人らしい。会社でのコミュニケーションの困難と解決法について(?)。なんか苦労したらしい。参与者間の共通のコードのようなものとして「フィルター」という概念を提唱し、それが相互理解に重要だ、とのこと。で具体的には「①企業バリューの存在」「②自分の教養を高める」「③やりたいことで他人を魅了する」という、なんかどっかの創業者の理念のような結論が出てきて、ちょっと頭がついていかなかった。
よく読むと、①と③は場の「フィルター」としての、コミュニケーションの目的を共有するということ、②は相手の「フィルター」がどういうものか理解してすり合わせる能力のことらしい。なぜそれが「教養」なのか、どうして「魅了」なのか、よくわからない。

余談だけれども、どうもビジネスパーソンはコミュニケーションの話をするときに高確率でジョハリの窓に言及し、「他人にも自分にも見えている」象限の拡大が重要だと主張する傾向がある気がする。

長尾隆司氏

金沢工大の生物学の人?らしい。自然に生息するコオロギと実験室で飼育したコオロギ、他の個体との接触を断って育てたコオロギの生態の違いの話。実験室で密集して育てると攻撃性が薄れ、隔離して育てると凶暴になるらしい。大変面白かった。人間のことへの拡張も妥当な範囲(環境が変わってきている、これからどうなるだろう、くらい)でよいと思った。

茂木健一郎

脳は複雑系だから脳に関わるものごとについては安易に断定などでできない、人はコミュニケーションによって人格を形成する、それゆえ確定的にどうすればどうなるということは言えず、〈偶有性〉が支配的である、という話。
「自分探し」とか「個性」とかは「科学的に間違っている」とのこと。「科学的」って何だったのか。人間や人間社会は複雑系で偶有性が支配している、したがってそのように考えることは「科学的」である、ということなら、ずいぶん粒の大きい話だと思った。

香山リカ

自らのクリニックや大学の授業に来る「若い人」が、自分の知っているコミュニケーションといかに異なる作法を用いるか、それはなぜか、という話。近頃の「若い人」は極度に他人との関係を損なうことを恐れ、ためにかえって「自分のことをわかってくれる超越者」みたいなものを求める、とかそんな感じ。
「とにかく周りに合わせる、みんなに好かれることを目指す」観念が支配的なので「モテという価値観が溢れている」んだそうだ。よくわからない。


後半はちゃんとした研究だった。

ニック・キャンベル氏

会話場面における参与者間の関係や話題に対する態度などのざっくりとしたイメージを「オーディオスケープ」というらしい。パラ言語や非言語情報によって主に作られるのだそう。会話コーパスから頻出語句を抽出するとパラ言語要素が上位を占める。これらの韻律特徴は発話の内容、相手などによって変わる。これらによって形成される「スケープ」は、用いられている言語がわからなくてもわりと見えるものなのだそう。面白い。

エリクソン氏、昇地氏

感情とイントネーションの関係の日英比較。実験方法が面白い。実験1は「It's wonderful」を喜び、怒り、悲しみなどの感情をこめて読んだ刺激データを作成し、感情知覚の言語差をとるというもの。実験2は「皮肉」をこめて読んだものについて感情知覚を調べるもの。実験3は「バナナ」と日本語で発音し、感情を読み取るというもの。いずれも被験者は日本語話者と英語話者。ざっくり言うと、ある言語で例えば「感心」の気持ちをこめて発話したものが、別の言語の話者には「疑い」のように聞こえることがある、というようなこと。
日本語の「疑い」と英語(女性話者)の「感心」は曲線が似ているので間違いやすい、らしい。グラフ上での波形は確かに似ているが、レンジが結構違うので、これはほんとかな、という気がするが、全体として興味深い。

朱氏

中国語話者の日本語学習に関する研究。fMRI正中矢状断層撮像(顔の中心を通り、身体の向きと平行な面)を用い、調音器官の使われ方の違いを母語話者と学習者で調べたという。こういう抜本的な方法はたいへん清々しい。
ほとんど図で説明されているので再現しにくいが、例えば日本語の「あ」は中国語の/a/に比べて下の奥が盛り上がる(狭めの位置が後ろにくる)ので、「暗い」音になるらしい(こういう聴覚印象は音声学の授業をとっていたときにもどうもよくわからなかった)。母語話者、熟達した学習者、独学で学習した人、では顕著に違いがあるのだそう。
ただ、MRIってかなりしっかり頭をおさえるので、ちゃんと発音できるのかな、という素朴な疑問はある。

(「母語」「母語話者」をめぐる議論については浅学にしてよく知らないので、おいおい調べようと思っているのですが、もし詳しい方がおいででしたらご教示いただけると喜びます。)

雑感2というか

あんまり一冊の感想に手間と時間をかけると続かなくなるので、もっと簡単にしていきたい。